1916年頃世界大戦による好景気で、梨は稲作の数倍の収入が得られたことから、鳥取県では梨栽培が急速に広まりました。ところが、このことから黒斑病の発生がひどくなり、栽培をあきらめる農家が続出しました。そのうえ、ひょう害、干ばつ、台風と三年続きの災害に直面し、1925年二十世紀梨栽培は存続の危機にさらされることになりました。この時の栽培者は250人余り、1戸あたりの梨園も大きく、まだ地主層だけの栽培でした。